気持ちをぶつけてくれてありがとう。
いつも喧嘩が絶えないだけじゃなく、
納得していないのに自分が謝ることでいつもことなきを得ているとしたら、
不満や消化しきれない思いが積み重なっていきますよね。
このままでは続いていかないし、
あなたがここまで「キツイ」状態でいることは結局二人にとって望んでいる間柄じゃないと思います。
一度、距離を置いてみてはどうでしょうか。
「正直なところ、自分はあなたのことが好きなのかどうかわからなくなってしまった。
こんな気持ちのまま一緒にいるのはあなたにとってもよくないと思う。
このままいつもぶつかり続けるのは正直キツイ。
わたしにとってあなたの存在がどういうものなのか、
一度距離を置いてゆっくり考え直したい。」
という内容を伝えてみるのはどうでしょう。
どんなにステキに見えるカップルだって価値観は違うし、
くだらないことでイラっときて喧嘩するものです。
「楽しくない付き合いならやめたい」と思う気持ちはもちろんそうですが、
どんな関係にも「楽しくない瞬間」はあります。
それでも一緒にいたいと最終的に思えるのは、
そこにやっぱり「好きだ」「愛してる」っていう気持ちがあるからだと思います。
虹は遠くから見ると綺麗に見えるけど、近づいていくと見えなくなってしまうように、
近い関係だからこそ見えなくなってしまうものがあります。
一度距離を置いてみて、自分は本当にこの人が好きなのか、
この人なしの人生を望んでいないのか、
考える時間をもってみてはどうでしょうか。
きっと見えてくる素直な気持ちがあると思います。
「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」と聖書に書いてあります。
包丁を切れ味鋭くするために、同じ鉄によって刃の先を研いでいくように、
人は何によって研ぎ澄まされていくかというと、それは人との関わりだというんです。
恋愛をすると、本気で関わります。
それはとても素晴らしいことです。互いに研ぎ合っていくことだからです。
自己中心だった自分が、愛する人のために自分を後回しにしていくことを学びます。
結婚した夫婦だって、家族の中で唯一の他人です。
血のつながりはありません。
やっぱり受け入れ難いところや、理解できないことがあります。
それでも、一人よりも二人で生きる喜びっていうものを感じます。
そのためならどんな違いや相容れない部分も受け入れ補いあいながら生きていきたいって思うんです。
その理由がやっぱり「愛」って呼ぶものなんじゃないかなと思います。
あなたが本当に愛する人と一緒になれますように。
そのための大事なプロセスのなかに、今の葛藤や苦しみもあります。
まさに今この瞬間も、あなたが研ぎ澄まされた、
さらにステキな女性になっていくチャンスになると思います。
そっかそっか〜
僕もすぐ人がどう思ったか気にしちゃうんだ。だからすごくよくわかるよ。
気にしすぎてなかなか寝られないってくらい思い詰めることもあるよ!
でも、意外とまわりってこっちが思ってるより、気にしちゃいないんだよね〜。
言ってしまったことは言ってしまった。
やってしまったことはやってしまった。
でも、それでいいの!今日も学校いけた自分をほめてあげようよ。
今まであんまり友達と関わることが少ない環境だったんでしょ!?
毎日すごいチャレンジなことをしてる自分を認めてあげようよ!
ぼくらは人と関わらなきゃ生きていけないんだ。
でも、それは傷つくこともあるし、傷つけることもある。
冷たくしちゃうこともあるし、大好きな友達がいても仲良くなれないこともある。
でも、そんな悩みのなかであやちゃん自身は大きく成長してるんだよ。
あやちゃんにとって「友達」ってどういう存在?
僕にとっては、たとえば
友達は「なんでも言える」相手だったり、
会うことが楽しみな人だったり、
一緒にいたいんだけど、けっこうイラっとくることもある。
でも、絶対失いたくはない存在。
好きな時もあり、嫌いな時もあり、でもやっぱり好きな人。
そんな友達が人生に一人でもいるなら、幸せ者だと思うよ。
だから、全員と友達にならなくていいし、なれないと思う。
でも、あやちゃんらしく生きていたらきっと、
あやちゃんの良いところも、悪いところもひっくるめて
「遊ぼうよ!」
って声かけてくれる友達に出会えると思うなぁ。
良いところだけ見せ合う関係じゃなくて、強さも弱さも認め合える存在と出会う時、
「こんなこと言ったら嫌われちゃうかな〜」
ってビクビクしながら一緒にいて疲れることはなくなる。
聖書には「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」って言葉があるよ。
こんな風になれる友達がほしいし、僕もそんな友達になりたいなって思うよ!
メールありがとう。
「恋に落ちる」とはよく言ったもので、
恋したくても、恋したくなくても、気づけば落ちてしまっているのが恋なんでしょうね。
たとえその相手が誰であろうと、抑えることができない気持ちですよね。
好きになったら気持ちを伝えたい。
好きになったら付き合いたい。
それはとても自然な気持ちです。でも、もっと大切なことがあるんじゃないでしょうか。
恋は自分がするものです。
でも、愛は相手のためにすることです。
愛する人がいるなら、優しくしてあげることができます。
愛する人の喜びがあなたの喜びなはずです。
愛する人のプラスが、あなたにとってのプラスなはずです。
「好きです!付き合ってください!」というのは簡単です。
でも、自分がしたいことを後回しにして、
「何が相手の喜びか」を考えて、考えて、考えて、実践していくことは難しいでしょう。
なぜなら、それこそが愛の姿だからです。
愛はいつも自分中心ではなく、相手中心です。
そして、それは付き合っていようが、なかろうが関係ありません。
愛は立場を超えていくからです。
はがゆい思いをするかもしれません。
でも、その苦しむ時間そのものが「愛している証」ではないでしょうか。
そんな本当の愛で恋をしているあなたの姿はきっと輝いていると思います。
女性として、素敵だと思います。
「愛は忍耐です。」聖書
メールありがとうございます。
きっと間に挟まれて辛いでしょう。
でも、あなたのように中立に立てる人がいなければクラスはもっと悪い雰囲気になっているのではないでしょうか?
「私のせいで」というより「あなたのおかげで」クラスの調和が保たれている、架け橋のような存在なのではないでしょうか。
ひとつの目的にむかってみんなで取り組むとき、亀裂や溝が生まれる事はよくあります。
なかなかひとつになれない、一致団結できないのが人間なのでしょう。
人間の歴史は、いつも「ひとつになれなかった」歴史です。
でも、あなたのように、問題と向き合って、声をあげる存在がいるなら希望があります。
人はお互いにお互いを見ると、相容れない部分や受け入れられない部分が見えてきます。
それは仕方がないことです。違う人間なのですから。
でも、横を見てぶつかるのではなく、上に掲げられたビジョンを見上げるなら一つになれます。
お互いを批判する目線を上にあげて、ひとつの目標を見上げるなら、
隣にいる人はもはや敵でもライバルでもなく、チームメイトになることができます。
実行委員というリーダーとして一つできることは、
最後までそのビジョンを叫び続け、みんなに見せ続けることです。
素晴らしいゴールが目の前にあること。
それを達成することがどんなに尊いことであるか。
みんなで協力するなら達成できること。
人は問題のために立ち上がることは面倒に感じますが、
ビジョンのためならば立ち上がれるものです。
ビジョンはいつもワクワクするものだからです。
最後まであきらめず、夢を語り続けてください。
ゴールを示し続けてください。
みんなで行動を起こしていこうと、叫び続けてください。
それができるなら、あなたはクラスの希望です。
ナイトdeライトも、歌を通してそんなことをしていきたいと思っています。
一緒に精一杯やりましょう。
応援しています。
「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。」聖書
本当は大事にしたいと思っているのに大事にできない。
本当は優しくしたいと思っているのにその場になると優しくできない。
それどころかつい、ひどいことを言ってしまう。
それはとっても辛いことですよね。
ひとりになって冷静になると
「なんであんなことしてしまったんだろう」と後悔することがあります。
あるアメリカ人の学校の先生が僕に聞いてくれました。
「今日が最後の日だったら、あなたは何をしますか?」
それを書けるだけ紙に書いてみました。
その多くは「大切な人に感謝を伝えたい」という内容でした。
先生が続けて言いました。
「なぜそれを今日しないんですか?」
そのとき何も言い返す言葉はありませんでした。
確かに、明日は当たり前のように来ると思っていました。
再会も当然のようにあると思っていました。
でも、そんな保証はどこにもありません。
別れは突然やってくるものです。
その日から、もし今日が最後だとしても後悔しない生き方がしたいなぁと思えるようになりました。
僕ももっと素直になりたいなと思う今日この頃です。
一緒に、小さな勇気を出してみましょう。
「ごめん」と「ありがとう」をちゃんと言える人になりましょう。
大切なことにまた気付かせてくれてありがとう。
連絡をもらってから、ずっとその重みを考え、回復を祈り、僕自身も試行錯誤していました。
ファミリアツアー、東京からメールしています。
ハルさん、
勇気を出して連絡をくれたその時点で、大きな一歩を踏み出しています。
ハルさんが戦っているちからは本当に大きなちからです。
ドラッグを辞めるということは、自分の意思や決断力でどうにかなるものではありません。
自分では戦うことができない事実を、もうよく知っているはずです。
でも、どうか忘れないでください。
かならず辞めることはできます。
もとの輝いた生活にもどることもできます。
家族の関係も回復する日がきます。
薬に支配される生活から解放される日がきます。
どうか希望をもってください。
その大きな一歩を、ハルさんはもう踏み出しているからです。
薬物依存から回復するための一歩は
「自分が薬物依存であり、その中毒性に対して無力であると認めること」 です。
多くの人が回復できずに、体が壊れ、こころが壊れ、からだも心も死んでいくのは、
この一歩が踏み出せないからです。
でも、あなたはもうクリアしています。
つぎの一歩は
「自分のちからだけでは、ドラッグを使わないようにできないことを知り、
自分以上の力を求め、受け入れること」です。
これも、ハルさんがもうすでに実現したことです。僕にメールをくれたからです。
あと一歩だけです。それは
「行動をもって新しい生き方を始めること」です。
僕が信頼する団体に「DARC」(ダルク)という働きがあります。
全国にある働きで、あなたに具体的な助けを与えてくれます。
どうか話しだけでも聞きにいってください。
HPです。
http://www.yakkaren.com/zenkoku.html
最後に、「中毒」という力と戦っているのは決してあなただけではありません。
本当に多くの人が様々な中毒と戦いながら生きています。
でも、必ずまた輝いて自分の人生を生きることができることを、一緒に信じましょう。
聖書のことばを贈ります。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に
会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように
試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」 −聖書−
応援しています。
メールありがとう。
ファミリア全国ツアー中、名古屋からメールしています。
まずは土曜日の大会、本当にお疲れさまでした!
なかなか記録を更新できないもどかしさ、とてもよくわかります。
それは音楽の世界でもあることです。時間を経ても、努力を重ねても、
なかなかその成果が表にあらわれてこないもどかしさを経験することがあります。
でも、バナナさんは一生懸命がんばっています。自分を情けなく思う必要は全然ありませんよ。
むしろ、成果が見えないのによくこの一年がんばってきましたね。
そこで養われたこころの成長もあるでしょう。
成長というのは、目に見える数字だけではあらわせません。
成果が見えればだれでもがんばれます。
成果が見えないときこそ、真価が問われます。
それでもあきらめずに、走り続けてください。
周りの期待もあるでしょう。
でも、尽きない周りの期待や評価ためではなく、自分の信念のために走り続けてください。
一生懸命あきらめず目標をめざして走っているあなたに、結果はついてくるものです。
結果が出なかったら、その悔しさを全身で受け止めてください。
現実から目を背けず、悔しさをバネにするならそれは負けではなく、成長です。
筋肉痛を通して筋肉が成長するように、その痛みは成長を告げるサインです。
最後に僕の好きな聖書の言葉をプレゼントします。
「小さいことに忠実な人は、大きいことにも忠実であり、小さいことに不忠実な人は、大きいことにも不忠実です」 −聖書−
やるべき課題は無限大のように感じるでしょう。でも、安心してください。目のまえに置かれている小さなことに忠実であれば、かならず大きな結果がむこうからやってきます。
応援しています。一緒にがんばりましょう。