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Q56.ミチヤ先生、こんにちは。 最近、危機感を覚えていることがあります。 それは、スマホをさわっている時間が どんどん長くなっていることです。 誰かと会っている時は 見ないように心がけているけど、 電車に乗っていても、家にいても、 一人でいるときはすぐにスマホを見てしまいます。 本当に今やるべきことさえも後回しにして 長い時間見てしまい、その度に罪悪感に襲われます。 かつてスマホを持っていなかった時には、 電車の窓から青空や夕焼けを眺めて心が癒されたり、 虹を見つけて嬉しくなったこともありました。 そんな時、スマホや携帯に夢中で その景色に気づいていない人たちを見て、 本当にもったいないなぁと思っていました。 でも今は、自分もその人たちと同じです。 本当はスマホからもっと離れたいです。 そして、もっと大切なことに時間を使いたいです。 どうすればいいでしょうか。 (匿名希望)

スマホって、包丁と同じだなって思います。

素敵な料理を作るために使うこともできるけれど、
人を傷つける武器にもなる。

スマホを使ってできることは限りなくあるけれど、
スマホを持っていることで、
利用するのではなく、利用されている自分にハッと気がつく。

それは僕も同じです。

子供が包丁を持っては危険なのは、まだ知識や理性、自制心が十分ではないからです。
同じように、スマホという「便利な機器」を扱うには力量が問われると思います。

僕は自分の生活に優先順位をつけています。
朝起きて、もっとも大事なことから取り組むようにしています。
その時間の間はスマホを機内モードにすることもよくあります。

最も大切なもののためなら、そんなに必要じゃないものは手放す勇気が必要です。

スマホに支配されない環境や状況を、自分で作ることは知恵です。

「本当はスマホからもっと離れたい」
そう思うのであれば、例えば
1ヶ月、スマホなしの生活をしてみてみる。
大事な時間は機内モードにするか、親に預けておく。
スマホを使う時間を「ご褒美」にして、一日がんばる。

解約しても生きていけるし
機内モードにしても世界は終わりません。

危機感を感じることができた今は、
人生という「時間」を何のために注ぐべきなのかを見出す
素晴らしいチャンスだと思います。

決して取り戻すことはできないのが過ぎ去った時間。
あなたにしかできないことがあり、
今しかできないことがあります。
そのために、時間を注いでいきたいですよね。

聖書の言葉を贈ります。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。


ぜひ、命という時間を、今日が最後だったとしても後悔しないように使っていきましょう。
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