あやみさん、
メールありがとう。
家族が争っている声を聞くだけで、心が傷みますよね。。
お母さんの辛そうな顔を見るだけで、自分も苦しくなる。。
家族だからこそ、傷つけあってしまいます。
近い関係だからこそ、切っても切れない関係だからこそ、
無傷でいることはできません。
でもその傷も、
家族だからこそ、
大切だからこそ、
愛しているからこそ、ついた跡だと思います。
今の季節は氷河期かもしれませんが、
冷たい氷のような思いも溶ける時が必ずくること、
信じて祈っています。
自分が何をすればいいのか。
そう考えているだけで、とても家族思いなのが伝わってきます。
何もできないことがもどかしいかもしれません。
でも、あやみさんまで疲れ果てて、
倒れてしまうことを望んでいる家族はいないんじゃないでしょうか。
あなたが今日を笑顔で過ごしていること
あやみさんが自分の道をしっかり歩み続けていること
それが、お父さんやお母さんも願っていることじゃないでしょうか。
距離を置かないと自分が駄目になってしまいそうなら、
しばらく距離を置くのも親不孝ではありませんよ。
家族でいるために距離をとる。そんな時期があっていいと僕は思います。
家族ひとりひとりが向き合わないといけない
自分自身の課題があると思います。
そこにはあやみさんが介入できる限界もあると思いますよ。
それでも家族のために何かしたい。
お母さんの気持ちを聞くことができるなら、大きな慰めになります。
共感してくれる家族がひとりいるだけで、大きな力です。
一緒に食卓を囲むこと。一緒に映画を見たり、買い物にいくのもいいでしょう。
お父さんには手紙で思いを綴るのはどうでしょうか。
解決方法よりも綴られた「さくらさんの苦しんでいる気持ち」はお父さんにとって無視できない現実です。
文字にされた気持ちは、男性に伝わることが多いです。
お姉さんにとって、もしかしたら家が外で受けているストレスのはけ口なのかもしれませんね。。
お姉さんが耳を傾ける存在はいないでしょうか。
あやみさんが言っても聞かないのであれば、お父さん、もしくは、家族以外の第三者。
その人から自分の暴言や嫌がらせがどれだけ家族を苦しめているのか、伝えてもらうのもひとつです。
どんな家族にも、危機は必ず訪れます。
でも、乗り越えていくのが家族だと、僕は思っています。
ただただ、耐えなければいけないときもあるでしょう。
でも、どんなことがあってもさくらさんにとっての家族は彼らだけ。
今日も家族が守られるように祈っています。
「愛は多くの罪を覆う」
聖書の言葉です。
聖書のなかにノアというお父さんが出てきます。
あの「ノアの方舟」のノアですね。
彼はある日、お酒に酔っ払って、泥酔し、裸になって醜態をさらしたことがありました。
そのとき、3人いた子どもたちは2種類の反応をしました。
1人はその姿を見た時そとにでていって「父さんがひどいことになっている!」と告げました。
でも、残りの2人は着物をとって自分たちの肩にかけ、後ろ向きに歩いていき、父の裸を覆ったというんです。
二人は顔をそむけたままで、父の裸を見なかったと。
家族だからこそ、近い関係だからこそ、
弱さとか
もろさとか
欠けている部分が見えてきます。
でも、「愛は多くの罪を覆う」
この2人の息子が、それを外で批判しなかったどころか、
自分の視界にも入れないで
服で覆ってあげたように
僕も家族のほつれている部分を覆ってあげる存在でありたいなと思います。
僕自身も、たくさん覆われてきたと思います。
どんな家族でも
愛すべき家族。
選んだ家族ではなく、与えられた家族。
きっと笑顔で団らんできる日がくると、僕も信じています。
スマホって、包丁と同じだなって思います。
素敵な料理を作るために使うこともできるけれど、
人を傷つける武器にもなる。
スマホを使ってできることは限りなくあるけれど、
スマホを持っていることで、
利用するのではなく、利用されている自分にハッと気がつく。
それは僕も同じです。
子供が包丁を持っては危険なのは、まだ知識や理性、自制心が十分ではないからです。
同じように、スマホという「便利な機器」を扱うには力量が問われると思います。
僕は自分の生活に優先順位をつけています。
朝起きて、もっとも大事なことから取り組むようにしています。
その時間の間はスマホを機内モードにすることもよくあります。
最も大切なもののためなら、そんなに必要じゃないものは手放す勇気が必要です。
スマホに支配されない環境や状況を、自分で作ることは知恵です。
「本当はスマホからもっと離れたい」
そう思うのであれば、例えば
1ヶ月、スマホなしの生活をしてみてみる。
大事な時間は機内モードにするか、親に預けておく。
スマホを使う時間を「ご褒美」にして、一日がんばる。
解約しても生きていけるし
機内モードにしても世界は終わりません。
危機感を感じることができた今は、
人生という「時間」を何のために注ぐべきなのかを見出す
素晴らしいチャンスだと思います。
決して取り戻すことはできないのが過ぎ去った時間。
あなたにしかできないことがあり、
今しかできないことがあります。
そのために、時間を注いでいきたいですよね。
聖書の言葉を贈ります。
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
ぜひ、命という時間を、今日が最後だったとしても後悔しないように使っていきましょう。
かなさん
メールありがとうございます。
楽器はメンテナンスしてあげないと、本番で綺麗な音を出すことができません。
一番届けたい人に、一番いい音を届けるために
ギターは弦を張り替え、
ドラムはチューニングし、
ベースも弦を緩めておきます。
激しい本番と練習のためについた汚れも
綺麗に拭き取ってあげます。
歌い手は喉に楽器がありますから、特に良く休むことが必要です。
同じように、かなさんも大事にしたい人を本当に大事にするために
休むことが必要です。
もちろん、仮病はよくありません。
でも、それはもう過去です。
前を向いていきましょう。
一番大事なのは、
かなさんが元気を取り戻して
心には余裕をもって
表情にはほほえみを携えて
同僚と顔をあわせ、患者さんに声をかけることです。
気づかぬうちに心に負担がかかっていたかもしれません。
入社1年目ですから、それは当然です。
それはかなさんが頑張ってきた証拠じゃないでしょうか。
今日という一日を感謝して、ゆっくり心と体をメンテナンスしてあげてください。
かなさんの笑顔が、職場を良いものにしていきます。
かなさんの余裕が、患者さんに元気を与えていきます。
明日の心配はいりません。
今日はゆっくり休んでくださいね。
「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。……あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」聖書
「私の知る人々のなかで一番幸せそうにしているのは、物事にゆるく接することを学び、日々の生活のうち心配事やストレス、恐れに満ちた細やかな部分は神様にお任せしてしまっている人たちです。」チャールズ・スウィンドル
社会人になる前にやっておいたほうがいいこと。
僕はたくさん旅をしました。
僕は学生のとき、こんなに長い休みがあるのは今だけだ!と思ったので、
春休みに青春18切符を買って北海道を一周したり、東京へ行ったり。
またあるときはお金をためてヨーロッパ一人旅をしました。
あのときの思い出は本当に今でも残っています!
(パスポート盗まれたりもしました(笑))
またあるときは、知人が紹介してくれた家族の家に2ヶ月半アメリカにホームステイさせてもらいました。
その家族とは今でも「パパ」「ママ」「Brother from Another mother!」(他のお母さんから生まれた兄弟よ!)
なって呼んでいる仲です。
あんなことは、社会人になってからではなかなかできないことだと思うので、
行ってよかったなって思います。
さて、社会人とはなんでしょう。
本当の意味で「学生」、学びながら生きるのは、学校を卒業してからと言えるかもしれません。
僕は社会人として、まだまだまだまだ未熟な一人です。
でも思い返してみると、
机に向かって授業で学んでいたことよりも、卒業してから体で学んだことのほうが覚えています。
学生は学んでからテストがあります。
でも本当はテストされてから学ぶんじゃないでしょうか。
試されて真価が問われます。
試練の中でこそ大きく成長していきます。
だから、社会人になった瞬間に
立派になろうと焦る必要はありません。
これからが本当の学びのスタートです。
失敗して、
恥をかいて、
悔しがって、
うまくいかなくて、
なんとか踏ん張って、
それでも学び続ける姿勢をもっていれば大丈夫です。
周りのすべてが先生です。
どんな上司からも、どんなお客様からも、どんな環境からも学ぶことができます。
あなたしかできないことがあり、あなたしか輝かせることのできない光があります。
そのために、学び続けましょう。
恐れず、ここからが一からのスタートだと思って、踏み出してみてください。
聖書の言葉を送ります。
「そればかりではなく、患難(かんなん)さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」
そのっぴーさん、
メールありがとうございます。
僕は
考えを話すことは得意でも
気持ちを話すことは苦手。だと思います。
でも、本当に伝えたいのは、
本当にわかってほしいのは意見や考えではなく、
素直な気持ちですよね。
悲しかったこと
辛いと感じたこと
怒っていること
どう考えるかよりも、なにを感じたか。
共感してもらわなければ、生きていけないのが人間なんじゃないかなと思います。
話したいことを話さなければパンクしてしまいます。
だから話すときは相手の気持ちを考えながら話します。
言いたいことは言わないと病気になります。
だから言うときは心を込めて優しく言います。
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」
という聖書のことばがあります。
あなたと同じように、
「この気持ちを一緒に共有してほしい」と友人も思っているはずです。
「目の前の人の気持ちをそのまま受け止めよう」と心がけていれば、
きっと心のキャッチボールができるんじゃないでしょうか。
愛という漢字は、「受けとめる」という字の中に「心」が入っていますよね。
相手の心をそのまま受けとめようとすること。
そこに愛があって、愛があるところに心が通じ合う関係が生まれるんじゃないでしょうか。
僕もできるかぎりまず「その人が感じたこと」を聞いて大切にしようと心がけています。
何も話したくないと感じているなら、
しばらくこの期間、徹底的に相手の気持ちに耳を傾ける期間にしてみたらどうですか?
会話の中で、まず相手の気持ちを聞いてみることから始めてみたらどうでしょう。
この期間で、きっと発見することがあるはずです。
僕の場合は、どちらかというと自分の気持ちを話すことが苦手なので、
気持ちを素直に吐き出せる人をうらやましく思うことがあります。
素直に吐き出してくれると、自分も吐き出しやすくなるので助けられます^^
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」聖書
僕も正直な気持ちを話せる人、そして相手の気持ちを受け止める人になりたいです。
メールありがとう。
あなたに陰湿なイジメをしている人がいるなら、どうか声をあげてください。
授業中教室から飛び出したっていいです。
廊下で思いっきり叫んだっていいです。
SOSを訴えてください。
あなたを助けてくれる人がひとりでもいるはずです。
あなたに暴力を振るい続けている人がいるなら、
あなた以外の第三者が立ち入る必要があります。
先生でもいい。親でもいい。教会の牧師先生でもいいです。
あなたの叫び声を聞いてくれる人が必ずいるはずです。
「セルフイメージを上げたい」
そのためには誰と一緒にいるかを選ばなければなりません。
あなたに暴言や暴力をふるい続けている人とは離れなければいけません。
「滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟より親密な者もいる」
「悪い付き合いは、良い習慣を台なしにする」 聖書
誰と付き合うか、誰と一緒にいるか。
それはいつだって、あなたに選択権があります。
大人の力を借りたっていい。
違う学校に通ったっていい。
方法は必ずあります。
そして何よりも、あなたをこの地上でもっとも美しい存在、
宝物のように大切な存在として見てくれている存在を、
あなたは知っています。
今は苦しいかもしれません。
でも、この苦しみのなかで
無条件の愛の眼差しがあることを、知る事ができるなら、
人生でもっとも無くてはならなかった季節になります。
僕も一緒に祈っています。
最後に聖書の言葉をおくります。
「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。」
メールをありがとうございます。
お姉さんも必死で戦っているんですね。
そして家族も苦しんでいる。
本当に一日一日が大変で、一日一日が奇跡のように大切な日々だと思います。
三浦綾子さんという日本中を感動させた作家さんがいました。
彼女は結核、せきついカリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など
度重なる病魔に苦しみ、「病気の巣窟」と呼ばれました。
でも、彼女が自分の人生を振り返って言った言葉、
それは
「おまけにこんな病気までくださるのは、
わたしはもしかしたら神様にえこひいきをされてるんじゃないかと
真面目に思ったんですよ。」
という言葉でした。
体はどんどん衰えていく。むしばまれていく。
それなのに、そう言った彼女の表情にはほほえみがあり、
家族にも幸せを与えました。
そんな生き様を見ると、病気が人の幸せを決めるんじゃないことを学びました。
病気と闘うお姉さんの姿を見ることは苦しい。辛い。酷い。
でも、それが決して不幸せなのではない。
今も、お姉さんにしか生きられない人生を、
お姉さんしか放てない光を放ちながら生きている。
そして、こんなにお姉さん思いのあなたが一緒にいる。
それだけで十分だと思います。
一日も早く回復することを祈っています。
今日もその命が守られ、痛みが和らぎ、ご家族にも平安があるように、願っています。
恋する田中ちゃん
Zeppなんば大阪ライブへの応援、ありがとう!
友達以上恋人未満って言葉は、とっても曖昧で、ときにずるい言葉ですよね。
「あなたは他の友達よりも大切だよ。でも、恋人には達していないよ。」という意味だもんね(笑)
未満っていうのは、「そこまで到達していないこと」っていう意味だからね。
もしちょっと恋愛感情抱いている人に「あなたは友達以上恋人未満かな!」って言われたら、頑張れば好きになってくれるかも!って期待しちゃいますよね。
言ってみれば「キープしておきたい人」にも使われちゃう言葉。
ときにはほのめかすずるい言葉だなぁ〜って思いますね。
僕も高校のとき、一緒に帰ってた友だちにいきなり似たようなこと言われたことありますけどね。
「みちやとは結婚してもいいけど、恋愛はしたくない。」ってね(笑)
友達と恋人の違いってなんでしょうね。
ひとつ指標になるのは
「相手の恋愛話を聞いても嫉妬しないかどうか」
もしあなたが恋愛感情を持っているなら、聞きたくないって思うんじゃないかな。
でも友達なら、「それでそれで?」ってこっちから掘り出したくなったり、応援したくなるんじゃないかな。
友達はたくさん持てるけど、恋人は一人ですよね。基本。
恋愛感情っていうのは、相手を独占したいって思うんですね。
そして独占されるほうも、「あなただけのわたしでいたい」って思うんでしょうね。
今好きな人がいるんですね。
自分も遠距離恋愛していたものとして言えるメリットは
・たくさん電話でお互いのこと話せたこと。
・耳が受話器で痛くなるほど長電話したのも良い思い出。
・物理的な距離よりも心理的な距離を縮められた期間。
・離れていてもこんなに好きなら、やっぱり自分はこの人のことが好きなんだって、確信が持てたこと。
・手紙を送ったり、プレゼントしたり、やっと会えたときの喜びを感じたり、結婚して一緒に暮らしている今ではなかなかできないことをたくさん体験できたこと。
・離れていて見えない相手の毎日があるけど、「自分のことを好きでいてくれている」って相手を信用することを学べた。
遠距離恋愛の難しさはもちろんあるけど、
一生涯を共にする相手との間に絶対必要なものっていうは、
物理的な距離よりも、心理的な距離なのかなって思います。
そういう意味では、遠距離恋愛だから育める
深い関係っていうのがある気がしますね!
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」聖書
友情においても、恋愛に関しても、
愛することは、愛する人のために、自分の大切なものを捨てること。
その恋が本当の愛によって育まれ、結ばれていくことを願っています。
応援しています。
あなたが生きてくれているだけで十分です。
きっとたくさん、息を吸って吐くだけで苦しい状況があるんだと思います。
花だって上に咲けない日があります。
そんな日も、生きていれば下に向かって根が伸びていきます。
言葉にならなくてもいいから、息を吐くように苦しい気持ちを誰かに伝えてみてくれたらいいなと思います。
もし太陽のように暖かくて、心が軽くなる言葉がかえってきたら感謝して胸いっぱい吸い込めたらいいですね。
きっと一緒にいてくれる家族や友達が見つかると思います。
「疲れた者、重荷を負う者は、 誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」 聖書